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東京地方裁判所 平成5年(ワ)16462号 判決

原告

株式会社シンケン

右代表者代表取締役

深見栄司

右訴訟代理人弁護士

近藤節男

園高明

被告

櫻井志げ

右法定代理人後見人

櫻井喜久夫

右訴訟代理人弁護士

村千鶴子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、一七六万五〇八〇円及びうち一七一万六〇〇〇円に対する平成五年六月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 主文二項と同旨

2  本案の答弁

主文一、二項と同旨

第二  当事者の主張

一  主位的請求

1  請求原因

(一) 原告は、建物の増改築を主たる業務とする会社である。

(二) 原告は、平成五年三月七日、被告から被告所有の建物の屋根改装工事を代金一七五万円(消費税は別)で請け負った(以下「本件契約」という。)。

(三) 被告は、同年三月二一日本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(四) 原告は、同年三月二〇日右改装工事に着手していたもので、右解除により次のとおり合計一七六万五〇八〇円の損害を被った。

(1) 解体工事費用 一九万円

(2) 樋撤去工事 三万五〇〇〇円

(3) 屋根本体工事

一三六万六〇〇〇円

(4) 作業中止の出戻り人工代(0.5人工) 一万五〇〇〇円

(5) 工事中断損料 八万円

(6) 材料引上費 三万円

(7) 消費税 四万九〇八〇円

(五) そこで、原告は、被告に対し、同年六月一八日到達の内容証明郵便により右金員の支払を催告した。

(六) よって、原告は、被告に対し、民法六四一条に基づく損害賠償として一七六万五〇八〇円及びうち一七一万六〇〇〇円に対する催告後の同年六月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  本案前の主張

被告は、平成五年八月一二日に本件支払命令が送達される以前から老人性痴呆症のため痴呆状態にあり、意思能力がなかったというべきであるから、適法な訴訟係属があるとはいえない。したがって、本件訴えは、不適法であるから、却下されるべきである。

3  本案前の主張に対する原告の答弁

争う。本件支払命令が被告に送達された時点では、被告の意思能力は十分あった。

4  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実は不知。

(二) 同(二)ないし(四)の事実は否認する。

5  抗弁

(一) 意思無能力

被告は、本件契約が締結されたとする平成五年三月七日の時点において痴呆状態にあり、意思能力がなかったから、本件契約は無効である。

(二) 公序良俗違反

平成五年三月七日、原告の従業員が屋根工事の勧誘に被告方を訪れた際、居合わせた被告の養子である櫻井喜久夫(以下「喜久夫」という。)が、建物が古く取壊しや建て替えを検討していることから、屋根工事は考えさせて欲しいので一旦帰るよう右従業員に述べた。ところが、原告の従業員は、被告の判断能力が乏しいことが分かったため、これに付け込もうと考え、喜久夫が帰るのを見越して再び被告方を訪問し、強引に勧誘したものである。

ところで、高齢者を対象とした訪問勧誘においては、高齢の消費者の適正な権利を侵害しないよう十分留意しつつ勧誘行為を行うべきことが社会的に要請されており、こうしたことから、訪問販売等に関する法律(以下単に「法」ということもある。)では、威迫的な勧誘をすること(法五条の二第二項)、当該契約を締結する意思がない旨を表示している者に対して、迷惑を覚えさせるような仕方で勧誘すること(法五条の三第二号、法施行規則六条の二第一号)、老人その他の者の判断力の不足に乗じて契約を締結させること(同施行規則六条の二第三号)等が禁止行為として定められている。

原告の従業員の前記勧誘行為は、右禁止行為に該当するものであって、著しく社会正義に反する行為である。したがって、本件契約は、公序良俗に反し無効である。

(三) 法六条一項による契約解除

(1) 本件契約は、「サンフロン二〇」という商品名の屋根用パネルの販売とその取付工事とを内容とするもので、被告方で締結されたものであるところ、右「サンフロン二〇」という商品は、法施行令二条別表第一の二七号に指定商品として掲げられている「屋根用パネル」に該当し、その取付工事は、法施行令二条別表第三の八号ホに指定役務として掲げられている「屋根用パネルその他の建築用パネルの取付け又は設置」に該当する。

(2) 被告の代理人である喜久夫は、原告に対し、平成五年三月九日、電話により、法六条一項に基づき本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(3) 被告の代理人である喜久夫は、原告に対し、同年三月二五日付、同年四月二六日付、同年六月二二日付の各内容証明郵便をもって、法六条一項に基づき本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(4) 被告は、原告に対し、平成六年三月一一日付準備書面をもって、法六条一項に基づき本件契約を解除する旨の意思表示をした。

6  抗弁に対する認否

(一) 抗弁(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)は否認ないし争う。原告の従業員の勧誘に被告主張の違法性はない。

(三) 同(三)(1)について本件契約に訪問販売法の適用があることは争わない。本件契約は、「サンフロン二〇」という商品名のフッ素樹脂塗装鋼板を建物の屋根に敷設する内容のものである。

同(三)(2)の事実のうち被告が喜久夫に代理権を授与していたことは不知、その余は否認する。仮に右事実が認められるとしても、法六条一項に基づく解除の意思表示は、書面による必要があるところ、右解除の意思表示は書面でなされていないから無効である。

同(三)(3)の事実のうち被告が喜久夫に代理権を授与していたことは不知。

7  再抗弁(抗弁(三)に対し)

原告は、平成五年三月七日、被告方で本件契約を締結した際、直ちに法五条、法施行規則の要件を満たした工事契約書(甲一、九)、工事内容確認書(甲八)及びパンフレット(甲三)を被告に交付した。したがって、被告の抗弁(三)(3)もしくは(4)の解除の意思表示は、法六条一項一号に該当し、無効である。

8  再抗弁に対する認否

争う。原告が被告に交付したと主張する工事契約書(甲一、九)には、商品名、役務内容、その価格、数量、工事日(役務の提供の時期)等の記載がなく、法所定の記載事項に不備があるから、法五条の書面に該当しない。

二  予備的請求(本件契約が不成立又は無効と判断された場合に予備的に請求する。)

1  請求原因

(一) 仮に、本件契約が不成立又は無効であった場合、原告は、平成五年三月二〇日被告所有の建物の屋根改築工事を行ったことにより、次のとおり損害を被ったのに対し、被告は同額の利益を得ている。

(1) 解体工事費用 一九万円

(2) 樋撤去工事 三万五〇〇〇円

(3) 屋根本体工事

一三六万六〇〇〇円

(4) 作業中止の出戻り人工代(0.5人工) 一万五〇〇〇円

(5) 工事中断損料 八万円

(6) 材料引上費 三万円

(7) 消費税 四万九〇八〇円

(二) よって、原告は、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、一七六万五〇八〇円及びうち一七一万六〇〇〇円に対する平成五年六月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

否認する。

3  抗弁

(一) 原告は、本件契約が成立していないかあるいは成立に問題があることを知りながら、被告が旅行に出かけて留守の間に強引に工事に着手したものである。したがって、原告は、後日紛争が発生することを予期しながらあえて工事に着手したものというべきであるから、不当利得の主張をすることは権利濫用ないし信義則に違反し許されないというべきである。

(二) 法六条一項により解除の意思表示がなされた場合には、販売業者又は役務提供事業者は、それに伴う損害賠償又は違約金の支払を請求することができず(法六条三項)、役務提供事業者は、既に当該役務提供契約に基づき役務が提供された場合でも、役務の対価その他の金銭等の支払を請求することはできず(法六条五項)、役務提供契約の申込者等は、当該役務提供契約に係る役務の提供に伴い申込者等の土地又は建物その他の工作物の現状が変更されたときは、当該役務提供事業者に対し、その原状回復に必要な措置を無償で講ずることを請求することができる(法六条七項)旨規定されているところ、本件のような違法な取引については、このような法の精神を類推して、不当利得の請求は否定されるべきである。

4  抗弁に対する認否

争う。

第三  証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本案前の主張について

1  証拠(乙一、六、七の1、2、八、証人櫻井喜久夫)によれば、被告は、平成四年夏ころから記憶力、記銘力等が低下する痴呆状態が現れ、平成五年一一月に、東京武蔵野病院で軽度の痴呆と診断されたこと、その後、平成六年一〇月二五日、東京家庭裁判所において、鑑定の結果、高齢化によって生じた広範な脳機能の低下に基づく痴呆と判定され、知的能力や事理弁識能力、社会生活適応能力が極めて低く、痴呆が回復する可能性はないと認められるとして、禁治産宣告の審判がなされ、右審判は確定したことが認められる。

2  そこで判断するに、平成六年九月二日の第七回口頭弁論期日において行われた被告本人尋問の際の態度、質問に対する応答等(当裁判所に顕著な事実である。)をみると、なるほど痴呆状態が進んでいることは窺われたものの意思能力を欠いていたとまでは認められない。そして、本件支払命令が送達されたのは、平成五年八月一二日(記録上明らかである。)であり、その三か月後の同年一一月に、東京武蔵野病院で軽度の痴呆と診断されていることをも併せ考慮すると、右支払命令送達の時点において意思能力を欠いていたものとは認めるに足りず、他に被告の主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

そして、支払命令に対する被告からの適法な異議申立により、本件訴えは適法に係属しているというべきであるから、被告の主張は採用できない。

二  主位的請求について

1  請求原因(一)の事実は、甲第六号証及び弁論の全趣旨により認められる。

2  前記甲第六号証、証人斉藤敏雄の証言により真正に成立したものと認められる甲第一号証、第八、九号証、証人斉藤敏雄の証言、被告本人尋問の結果によると、請求原因(二)の事実が認められる。

なお、本件契約は、「サンフロン二〇」という商品((以下「本件商品」という。)の販売契約と本件商品の取付工事という役務の提供契約とが一体となった混合契約であり、本件商品は、法施行令二条別表第一の二七号に指定商品として掲げられている「屋根用パネル」に該当し、その取付工事は、法施行令二条別表第三の八号ホに指定役務として掲げられている「屋根用パネルその他の建築用パネルの取付け又は設置」に該当するものと認められる。

3  抗弁(一)の事実について

本件契約が締結されたのは、平成五年三月七日であるが、前記本案前の主張に対する判断のとおり、本件契約締結当時被告において意思能力を欠いていたものとは認めるに足りないというべきである。

したがって、抗弁(一)は理由がない。

4  抗弁(二)の事実について

(一)  証拠(甲一、四、六ないし九、乙六、九、証人斉藤敏雄、同銅敬、同櫻井喜久夫、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告の従業員である斉藤敏雄及び渋谷某は、平成五年三月七日夕方、肩書住居地の被告方を訪問し、被告(当時八四歳)に屋根の張り替え工事について説明していたところ、喜久夫が被告方を訪れた。そこで、斉藤が喜久夫に、工事費は通常三〇〇万円位するが、宣伝のためカタログにのせるので広告料ということで一八〇万円に値引きできる旨説明した。喜久夫は、建物が築後四〇年近くたっていて相当古くなっていたことから、借地を明け渡すかあるいは地主との話合いで建て替えるかを考えていたところであったので、斉藤らに、検討して三月一〇日までに返事をするのでそれまで待って欲しいと言って、帰ってもらった。

(2) ところが、斉藤は、原告の本部に相談して一七五万円に値引きすることの許可を得たことから、三月七日午後七時過ぎころ再度被告方を訪れ、被告に一七五万円で工事ができる旨述べたところ、被告はこれを了承した。そこで、工事契約書(甲一、裏面は甲九)及び工事内容確認書(甲八)に被告の署名押印をもらったが、その後、予定していたクレジットが被告の年齢の関係で使えないことが判明したので、同月一一日、斉藤が被告方に赴き、工事代金支払確認書(甲四)に被告の署名押印をもらい、完工後一週間以内に一括払いという約定が成立した。

(3) 喜久夫は、右契約の事実を知らなかったので、三月九日原告に電話して三月一四日までに返事をするので待って欲しいと伝えたが、それ以後連絡はしなかった。

被告は、三月二〇日ころから同月二二日まで喜久夫と一緒に旅行に出掛け被告方を留守にしていたが、その間に原告が屋根工事をした。喜久夫は、旅行から帰ってきて留守の間に屋根工事がされているのを発見し、原告の渋谷支店に電話する等したが、契約書があると言われて驚き、大田区立消費生活センターに相談し、同月二五日付の内容証明郵便(乙九)で本件契約を解除する旨の意思表示をした。

(二)  以上認定の事実に基づき検討するに、被告は、前記のとおり意思能力を欠いていたとまではいえないにしても、高齢のうえ痴呆状態が進んでおり、通常人よりは判断能力が劣っていたものと認められるところ、このことは、原告の従業員も十分認識し得たものと推認できること、そして、喜久夫が契約するかどうかの返事は三月一〇日まで待って欲しいと言っていたにもかかわらず、喜久夫の知らないうちに即日契約に及んだものであること等を総合すると、原告の勧誘方法、契約締結行為には問題があり、法五条の三第二号、法施行規則六条の二第三号に違反する疑いがある。

しかしながら、代金が適正が否か、本件商品の品質や工事の善し悪し等は証拠上必ずしも明確ではないこと等に照らすと、右のような勧誘方法に問題があったとしても直ちに本件契約自体が公序良俗に違反して無効になるとは認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

したがって、被告の抗弁(二)も理由がない。

5  抗弁(三)の事実について

(一)  抗弁(三)(1)については、前記二2で述べたとおりである。

(二)  同(三)(2)の事実について判断するに、前記二4(一)において認定した事実によれば、喜久夫は、三月九日原告に対し、同月一四日までに返事をするので待って欲しいと述べたに過ぎないから、これを解除の意思表示と認めることはできない。

したがって、その余の点について判断するまでもなく、被告の主張は理由がない。

(三)  同(三)(4)の事実は、記録上明らかである。

6  そこで、再抗弁について判断する。

(一)  証拠(甲一、六、八、九、証人斉藤敏雄)によれば、原告は、平成五年三月七日、被告方で本件契約を締結した際、被告に対し、工事契約書(甲一、九)、工事内容確認書(甲八)を交付したことが認められる。

(二)  ところで、法四条、五条一項、法施行規則三条、四条によれば、原告は、被告に対し、平成五年三月七日被告方で本件契約を締結した際、直ちに次の事項を記載した書面を交付しなければならない。

(1) 商品の販売価格、役務の対価

(2) 商品の販売価格、役務の対価の支払時期、方法

(3) 商品の引渡時期、役務の提供時期

(4) 法六条一項の規定による売買契約、役務提供契約の解除に関する事項

(5) 販売業者、役務提供事業者の氏名又は名称及び住所

(6) 売買契約、役務提供契約の締結を担当した者の氏名

(7) 商品名及び商品の商標又は製造者名

(8) 商品の型式又は種類、役務の種類

(9) 商品の数量

以上のように、法が訪問販売を行う販売業者又は役務提供事業者に右のような事項を記載した書面を契約締結の相手方に交付することを義務付けているのは、訪問販売による取引を公正なものにし、購入者等が損害を被らないようその利益を保護するという訪問販売法の目的に鑑み、契約内容について購入者等に正確な知識、情報を与えようとするところにあるものと解される。

そうすると、右のような目的に沿わないような不完全な記載しかなされていない書面を交付した場合には、その書面は、法六条一項一号にいう五条の書面に該当しないというべきであるから、同項に基づく解除の期間は進行しないものと解するのが相当である。

(三)  そこで、これを本件についてみるに、原告が被告に交付した工事契約書(甲一、九)及び工事内容確認書(甲八)には、工事額もしくは契約金額として一七五万円という記載はあるが、商品の販売価格と役務の対価の記載はないこと、また、商品の販売価格及び役務の対価の支払時期、商品の引渡及び役務の提供時期、商品の数量等の記載がなく、法所定の記載事項に不備があることが認められる。

のみならず、前記認定の事実によれば、被告は、意思能力がなかったとまではいえないもののいわゆる老人性痴呆症により通常人よりは判断能力が劣っていたことが認められるから、クーリング・オフの規定等契約書の約款を十分理解する能力があったかどうか疑問であること、そして、原告の従業員も被告とのやりとりにより被告の状態については認識し得たはずであるにもかかわらず、契約書の内容について十分説明した形跡は窺えないこと、しかも、原告の従業員は、三月七日喜久夫から同月一〇日まで待って欲しいと言われたにもかかわらず、喜久夫が帰ってからすぐに本件契約を締結しており、これは判断力の乏しい老人を狙ったともいえる信義に反した取引方法であること等を総合すると、原告が被告に交付した前記書面は、法六条一項一号にいう五条の書面に該当しないというべきである。

そうすると、法六条一項に基づく解除の期間は進行しないものというべきであるから、被告の行った前記解除の意思表示は有効である。

三  結論

以上の次第で、原告の被告に対する主位的請求は理由がないからこれを棄却することとし(なお、予備的請求は、本件契約が不成立又は無効と判断された場合の申立であるから判断する必要はない。)、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官角隆博)

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